どうも、長谷川元気です。
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はじめに
あなたは、自分が普段何気なく発している「言葉」について深く考えたことがありますか?
「言葉」
よくよく考えてみると不思議なものですよね。
単なる音の集合が、意味を成し、言語となることで、自分と他人との意思伝達を可能にしている。。。
一体だれが、どのようにして、言葉という意思伝達のツールを開発させたのだろうか。
と、幻想に耽るのは、この辺にして、今回はその「言葉」に着目して、我々が用いる「言葉が持つ力」について触れていきたいと思います。

医療従事者が発する言葉の力
我々医療従事者は、主に患者様に対して「言葉」を用いる機会がほとんどです。
では、ここで質問です。
あなたは
「患者様にとって、白衣を着た医療従事者が発する「言葉」というのは、どのような聞こえ方をするのか」
ということを考えたことがありますか?
一般的に【医者】【病院】という単語は、あまりいいイメージを連想するものではありません。
というのも、その言葉の裏には【病気】【手術】【痛い】などという負の言葉が見え隠れするためです。
その一方で、医療従事者が発する言葉は、”自分の身に降りかかっている不幸を取り払ってくれる言葉”としても大変重宝されています。
医療従事者の言葉というのは、”嫌なこと”と”良いこと”の二面性があるのです。
それゆえ、”一言一句聞き逃してはいけない” ”病院の先生が言ったから”などと言われてしまうほどに、医療従事者が発する言葉の力は大きなものになっていきます。
あなたの何気ない一言は、患者様にとっては”医療者から言われた言葉”として記憶されるため、患者様の”その後の人生”にも大きな影響をもたらしていく可能性があるのです。
「言葉の力」というと、音楽家やアーティストの方がよく使いそうな表現ですが、医療従事者が用いる言葉もそれと同じように、受け取る方の人生すら変えるようなものすごい威力を持っていることに変わりはありません。
それほどにまで、医療者が発する言葉というのは責任が重くのしかかるのです。
言葉のチョイスがもたらす影響
…と、医療者の発する言葉の責任についてはここまでにして、
今回は発する言葉のチョイスの違いによって、患者様のADLが変わってきますよ、、、
ということをまとめてみたいとおもいます。
『言葉のチョイスの違いによって、患者様のADLが変わる』
これだけ聞いても、なにがなんだかわからないとは思いますので、早速ですが例文です。
①ベンチまで行きましょう
②ベンチまで歩いて行きましょう
③ベンチまで立って歩いて行きましょう
どれも、少しづつ言葉が変わっていますよね。
これだけでも随分と言葉から受け取るもののニュアンスが違うことに気づきますでしょうか。
①は友達とかにもよく使う表現ですね。
「遊びに行こう」とか、「呑みに行こう」とかと同系列です。
しかし、②、③は患者様に対してリハビリにおいてセラピストがよく使う表現となっています。
「外の風を浴びに歩いていこう」とか、「肘ついて起き上がって座りましょう」とかと同系列です。
これらの大きな違いに気づくことができますか?
これの何が違うの?
と学生さんの指導をしていると聞かれることがあります。
もしかしたら、臨床家の中にもそこまで気を遣って言葉を発していない方もいるかもしれません。
何が言いたいのかというと、言葉はそれほど何気なく用いているものなのです。
もちろん、経験によって発する言葉が洗練されてくると、無意識でこれらを区別して行なえてくる方もいらっしゃいます。
身も心も”自立レベル”とするために
では、何が違うのでしょうか。
解説していきます。
②と③は①とは違い、 "歩いて" や "立って" といった移動する手段を指示しています。
これが違いです。
…これだけ?
そう思うかもしれません。
しかし、この小さな違いのもたらす影響が、とても大きなものであることを理解してください。
普段、日常生活を普通に送る上で、②と③のように移動手段をわざわざ指示することは、なにか特別な理由がある場合が多いです。
例えば、「コンビニに車で行こう」という言葉の裏には、”今日は体が疲れているから歩かずに車を使いたい”などといった特別な理由があるかもしれないということです。
そうでなければ①の表現のように "行く" ことだけを伝えれば、たいていの方には通じます。
先の例で言えば、「コンビニに行こう」と言われれば、”コンビニは近くにあるものだから歩いていくんだな”と察することができますよね。
ただ、この発想に至ることができるのも、”その方が歩くことができる身体”であるからです。
そんな方にとっての移動手段は当たり前の様に "歩く" こと一択だからです。
しかし、病院や施設において筋力が落ちて、歩けない方にとっての移動手段は、車椅子や歩行器などの選択枝がいくつもできてきます。
加えて、病棟生活の安静度によってはリスク管理のために「歩いてはいけません」「立ってはいけません」などの制限を強いられていることも少なくありません。
その制限がある中で、リハビリでは心身機能を向上するために、「移乗練習」や「歩行練習」などを通じて移動手段を獲得することを目的とした治療が施されます。
そのため、それらの練習をする際には、②や③のような表現をしているのです。
一つ一つ手段を提示することで、患者様の混乱を避けることができます。
移動手段の獲得ができていない段階では、指示しないと、「どうやって?」とおっしゃる方も少なくないのです。
そのような方でもリハビリで徐々に移動手段を獲得していき、日常生活の中で自然と行えるようになってくると、歩くことが当たり前となります。
そこで、①のように「行きましょう」とだけ伝えた時に、すっと立って歩き始めることができるようになっているか、、、が大切な視点となります。
私は患者様がこの状態になって初めて 身も心も "自立レベル" と言えるのではないかと考えています。
さいごに
このように医療従事者の持つ「言葉の力」は、患者様の予後・今後に大きな影響をもたらすものです。
私はこれまでに何度も、さりげなく発した一つの言葉で、退院するしないが決まった方や、ADLが大きく変わった方に出会ってきました。
その度に自分の言葉を振り返り、反省をしています。
病院の中は特殊な環境です。あれもするなこれもするなと、多くの制限があるなかで、リハビリの先生方は
どうしたら"出来る"だろうか
を考えて治療を提供しているため、患者様にとっては希望の光にもみえるといいます。
それ故に、発する言葉の意味を考え、その与える力の大きさを考慮しながら、治療に励んでもよいのではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
引き続き、『リハぶっく』をお楽しみください。