どうも、長谷川元気です。
この記事を読んでいるあなたは、医療の世界に足を踏み入れてから何年の月日が経っていますか?
養成校時代も含めるとずいぶん長い年数が経っているのではないでしょうか。
そんなあなたへ質問です。
医療従事者に染まりきっていませんか?
今回は『医療従事者に染まりきる』これがどんなに怖いことか。。。という内容をまとめてみたいと思います。
前回記事にも通ずるところもあるので、そちらもよかったらご覧ください。
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どうも、長谷川元気です。 今回は以前担当させて頂いた患者様がふとした時に仰っていたことで、私の臨床感を思いっきり変えた出来事をまとめていきます。 その方は”当たり前”のことを、おっしゃっ ...
では、本文です。
世間一般的にみたら、医療の現場はおかしいことだらけです。
"普通"のことが"普通"でなくなる事が多いのです。
ここで言う"普通"は病にも倒れず、健康的な生活を送っている若い世代の人たちが送る生活をイメージしてください。
医療の現場で"普通"じゃないなと思う例を挙げると、
・以前の記事でも触れた自己決定権がない
・プライベート空間が侵され過ぎている
・意思決定をする際にほぼ誘導尋問のように促されてしまう
・制度だからと治療の必要性があるのに退院を余儀なくさせられてしまう
・ベッド以外の生活スペースが少なすぎて、食事やテレビ視聴などの生活をベッドでしなければならない
・定時になれば食事が運ばれてくる。例えお腹が空いていなくても
・痛いと言っても、病気だからしかたがないと思われてしまう
などなど、、、
挙げたらキリがありません。
これらを"普通"としてしまいがちな医療の現場で働くあなたは、もしかしたらこれらを良しとする考えに染まっているかもしれません。
この考えを主張してしまう医療従事者という衣を、あなたはどこまで厚くまとっているでしょうか??
そんなあなたも、制服を脱げば"普通"の人に戻るはずです。
その時に、"普通"に考えたらおかしいな、と思う行動や言動を医療の現場で行なっていませんか?
それとも"普通"がわからなくなっていますか?
(普段の生活でこんな仕打ちされたら嫌な思いをするに決まっていますよね??)
あなたが医療に従事することはとても良いことですし、他人様を考えれる素晴らしいことをしていると声を大にしても平気な職業に就いているでしょう。
しかし、あなたの中の『医療従事者』というレッテルが大きくなりすぎてはいけません。
医療従事者としての『あなた』だけでなく、"普通"の『あなた』をどこかで必ず持つようにしてください。
でなければ、医療従事者に染まりきってしまいます。
染まりきれば、世間一般とかけ離れた思考となり、時に危険な一面を覗かせてしまう結果となることが予想されます。
"普通"の『あなた』ってどういうことかというと、私自身で例えたら、
夫としての私、パパとしての私、子どもとしての私、男としての私、部活のエースだった私、美術の成績が万年最下位だった私、ブログを書いている私、そして医療従事者である私、など色々な私があります。
このように"普通"の『あなた』とは病院外での生活においてみせる"顔"のことを指します。
ここで、これらの"顔"をこう書き並べてみると、あることに気づきます。
それは『◯◯としての私』の枕言葉には『誰に対して』が暗に込められていることにお気づきでしょうか?
つまり、【私】という存在は【誰か】の存在があることで、成り立っているのです。
決して1人では【私】は成り立ちません。
ということは、"普通"の『あなた』を意識するためには、病院外での人との関わりが必須となります。
あなたは病院をでてから、病院職員以外の人とどのくらい関わっていますか?
医療以外の会話をどれだけしますか?
その相手との時間こそが、あなたが医療従事者の衣を脱ぎ去っている大切な時間なのです。
もちろん、医療のことを深く考えている時間も必要ですが、人間は1つのことに没頭しすぎると良くない結果を生み出す可能性が高くなります。
そして、成長が止まったり、思考が停止する習性があります。
あなた自身の成長のため、あなたを"普通"にしてくれる【誰か】を作りましょう。
そうすれば、自然と医療者従事者に染まり切らず、より患者様の立場になって、"普通"のひととして業務を行うことができるでしょう。
【誰か】は誰でも良いと思います。
親でも、子でも、友達でも、美味しいご飯でも、スポーツでも、本でも、ツイッターでも、このブログでも。
どんなものでも【誰か】となりえます。
これからも、"普通の医療従事者"として勤務して下さいね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
追記
この記事を書いていて、母親の言葉を思い出しました。「自分がされて嫌なことは人にするな」